日本の映画界にみずみずしい才能が現れた。
5月末からTOHOシネマズ日比谷ほかで全国ロードショー公開されている『僕はイエス様が嫌い』は、今年23歳の奥山大史(ひろし)さんが監督・撮影・脚本・編集を手掛けたデビュー作だ。関西圏では7月5日(金)大阪ステーションシティシネマを皮切りに、12日(金)からシネ・リーブル神戸、順次京都シネマでも公開される。
新人監督のデビュー作が全国系列の大きな劇場で公開されるのは異例のこと。昨年9月、史上最年少の22歳で、カンヌ、ベルリン、ベネチアに次いで権威ある国際映画祭といわれるスペインの「第66回サンセバスチャン国際映画祭」で最優秀新人監督賞を受賞。その後、「第29回ストックホルム国際映画祭」(スウェーデン)と「第19回ダブリン国際映画祭」(アイルランド)で最優秀撮影賞を受賞したことから、広く注目されることになった。
奥山監督がこの映画を撮ったのは、大学卒業を控えた21歳の冬だった。「卒業したら会社に入ることが決まっていたので、映画を撮るのは最初で最後かもしれないと思い、小さいころに亡くなった親友に捧げる映画を作りたいと思った」という。
「最初に考えた筋立てだと重くなりすぎたので、子どもから大人まで楽しめる映画にしたくて、小さいイエス様を登場させることにした」そうだ。小さなイエス様はユーモラスに動き回るが、一言もしゃべらない。
「小さいころみんな『人は死んだらどこに行くんだろう』『なんで死んじゃうんだろう』『いつか死ぬことをみんな知っているのに、普段なぜ忘れて生きられるんだろう』って考えたことがあるはず。僕も小さいころ身近な子が死んじゃったことで考えこんだ時期があった。そして映画を撮る中で、友達が死んだことを整理できていなかったことに気づいた。撮り終わって整理できたかどうかはわからないけれど、引きずっていることが悪いことではないと自覚できたと思う」
家庭用ビデオを思わせるスタンダードサイズの画面の中で、映画は必要最小限のセリフだけで淡々と進む。その潔いまでのストイックさの中に、細かな感情の揺れや戸惑いが見事に表現されている。そのことが、言葉に頼って表現する世界に長らく身を置いてきた筆者には衝撃だった。
「スタンダードサイズで撮影したのは構図が作りやすかったから。カメラ位置はユラの目線に合わせて低く構えた。時代は携帯電話がまだそんなに普及していない少し前の設定。映画で撮る以上、状況説明はセリフではなく、絵や音でやろうと意識した」
「映像は編集や構成で見え方を変えることができる。例えば言葉で『揺れているブランコ』『食事する少年』と書いただけでは伝わらなくても、映像では、ひとつ前に悲しげに揺れているブランコの映像があって、その後に食事している主人公の映像があると、もしかしたら悲しそうに食事をしているように見えるかもしれない。絵になって流れで見ると、いくらでも印象を操作できちゃうのが映像の強みだと思う」
「その上で、見た人が自由に感じてもらえることを大切にした。流星群は本当に見えたのか? 障子の穴から何が見えたのか? なぜユラはサッカーの途中で帰っちゃったのか? 『そうとしか見えない』シーンを外して、余白をちょっとずつ残した。そうすることで、見た人が自分の中で一つの映画を完成してくれた時に『あ、これは自分の映画だな』と思ってもらえるんじゃないかと思う」
映画で印象的な雪景色は、偶然の賜物だという。
「天気には本当に恵まれた。どうしても会社に入るまでに映画を撮りたいというところから、撮影が必然的に冬になった。天候が全く読めない中で雪が積もり、かといって吹雪くこともなく、いいところでとどまってくれた。イエス様の撮影の1日を別にして、ロケは7日間。最初に都内で家の中などを撮り、次の1日で別荘シーンを軽井沢で撮って群馬県に移動した。中之条町では学校、神社、病院の外、花屋を撮った。学校シーンは土日で、残り1日で他のシーンを撮った。帰ってきて都内で病院の中と教会。子役さんは午後8時以降一切撮れないし、時間的にはギリギリでした」
英題はシンプルな方がいいと思ったと「JESUS」に。「直訳してI hate JESUSだと“僕”でも“イエス様”でもなくなる。『私はイエスが嫌い』だと、ちょっとロック過ぎる。日本語タイトルの『僕はイエス様が嫌い』は、子どもが書いたような字で、イエス様の字に金箔が押されていて、初めて成立するコピーだと思う」と奥山監督。
ところが、マカオの映画祭では日本語タイトルを中国語に置き換えたタイトルで上映されてしまった。上映後に質問してきた信心深い女性に「タイトルはどうでしたか?」と聞くと、「『僕はイエス様を信じない』というタイトルだったらすごく嫌だったけれど、嫌いって思っちゃうぐらいすごく好きだったってことでしょう? それが映画から伝わってきたから全く気にならなかった』と言われた」そうだ。
その言葉が頭にあったからだろう。東京の駅張りポスターに「嫌いって言えるほどに好きだった」のコピーを付けたという。教室でユラが後ろを振り返っている左上の写真には「とか言ってバチが当たったらどうしよう?」、ほかに「全部の祈りがかなえられるわけじゃないから、みんな必死にお祈りするんだ」など全部で8パターンのコピーを自分で書いたそうだ。
新しい才能の登場を、ぜひ映画館で確かめてほしい。